お葬式でした
9月9日(日)夕方
外で炭火をおこしてさんまを焼いていました。
夫はパーキンソン症候群による誤嚥性肺炎で昨年11月から入院している義父のところへ行っていて、そろそろ帰ってくる時間。
私は火の起こった炭火に火照りながら
ビールウマー!(゚∀゚)
ってやっている時に一本の電話・・・おばあちゃんからです。
おじいちゃんがあぶないって!?
夫は既に病院を出ており、運転中で電話に出ない。
帰ってきたらまたとんぼ返りで病院に行かなくては!
私も炭にあぶられて汗だくだし炭の香りでプンプンだからとりあえずシャワーだー!
ってやってるあいだに夫が帰ってきていて、お風呂から出たら夫がさんまと一緒に焼いてたいかしゃぶりながらビール飲んでたー!ヽ(;▽;)ノ
仕方ないから足利の病院までタクシー。
病院に着いた頃にはおじいちゃんは既に瞳孔は開いて呼吸もしていませんでした。
ただ、惰性で心臓が若干動いているという状態。
心臓が止まったのは20時40分でした。
そこからは通夜や葬儀の準備です。
準備といっても今はメモリアルホールにおまかせなので、いろいろ決めることだけ決めてしまえばおしまいです。
でも、9時過ぎに自宅に帰ってきてからの話なので、2時近くまで打合せ。
ほとんど眠れませんでした。
翌日、友引を挟むので、通夜葬儀前にたくさんの親戚や知人が自宅に押し寄せました。
嫁の私はせわしなくお茶出し係。
今まで、義母の話の中だけでしか知らなかったじいさんやばあさんが次から次へと弔問にやってきます。
私は割と人見知りなほうなのですが(ほんとだよ!)もう、なりふりかまわずこの年寄りたちをさばいていかねばなりません。毒蝮三太夫になるしかない!
初対面なのに厚かましい物言いだったかもしれません。
どんな嫁だと思われているのかちょっと恐ろしいです。
通夜の日、湯かんの儀式はいまどきだねー。おくりびと(納棺士)が来て(中島みゆき似の女性でした!)厳かに体を清め、白装束をきちっと着せていきました。
通夜はまたじいさんばあさんがたくさん来て、その夜、家族はホールに併設された宿泊施設に泊まりました。
またよく眠れませんでした。
葬儀では嫁入りに用意した喪服に初めて袖を通せると思うと、じいちゃんには申し訳ないけどワクワクでした。
が、娘時代に用意したので身幅は合わないし、考えてみたら9月はじめでまだ和尚さんがうすものだからそれに合わせて絽でよさげ。
なので、喪服持ってるのにあえなくレンタル(´;ω;`)
葬儀は厳かに進んで行きました。
入院はしていたものの、小康状態が続いていたので急に亡くなってしまったという感じは拭えず、仲の良かった末の叔母さんは泣きっぱなしだし、夫も挨拶で声を詰まらせていました。
義父はおとなしい人でしたが、優しく皆に好かれていたようでした。
そんな葬儀も終わり、翌日からもまたお客様がみえたり、今後の話し合いでホールの人が来たりで先週は終わりました。
今週は、事務的な処理が始まりました。
市役所に3度、金融機関に5度行きました。
財産なんてほどのものはないのですが、故人の保険や口座を動かすのって大変!
夫の実家のある足利市の市役所だけでは戸籍謄本が取りきれず、義父の親の実家のある館林市役所にも足を運ぶことになりました。
ここには私が一人で行くので母から委任状をもらって書き物をして判ついて・・・なんてこともしたんですけどね。
まあぁぁぁ~~~、面倒くさい!
今日はまた銀行に行ってきました。
亡くなった義父の口座は凍結されてしまうので、いろいろ引き落とされていたものが引き落とされなくなるのです。
そういったものをまずは名義変更して、新たに義母の口座から引き落とすことにするのです。←イマココ
まだ他の銀行や郵便局なんかの口座もどうにかしなくてはなりません。
義母は車も運転できないし、年をとってこういうことがすごくおっくうみたい。
まだまだ金融機関行脚は続きそうです。
そんな中、足利と館林で取った戸籍謄本というのが、4代前の先祖から書いてあって面白かったです。
夫のおじいさんのおじいさん?
一番古い人で嘉永3年生まれの叔母さんという人が記載されていました。
江戸時代です。
戸籍謄本には顔写真はないけど、きっと日本髪にお歯黒なんだろうなー。
そんな話を夕べは家族でしました。
今週末はジャックもあるのだけど、行けそうにありません。
義母のところにはいかないけど、隣組の集金が葬儀をやりながらだったので終わってないし、地区の会議もあったりします。
一人の人が亡くなるのだから仕方ないのだけど、お葬式って大変だねー。
うちはまだ義母もうちの両親もいるし、あと3回はこういうことやるんだと思うと気が遠くなります。
さて、今夜はこれで寝よう。
明日からはそれでも少しゆっくりできそうです。